rizuのブログ

しげぴのことをつらつらと。

モダンボーイの積もる話②

※毎度おなじみですが、ガッチガチに内容のネタバレとなっております🥲

「だからまだ浅草エフリィに会ってないんだってば!!」という方は是非ご自衛くださいませ🙇‍♀️


こんにちは。

おまえ、さてはしげぴことは直ぐに書くタイプだな?と思った方、大正解です。

書きたいし話したい衝動が抑えられませんでした。なので書きたいと思います。後半戦スタートです。


幕間20分を挟み、第2幕が開演。初っ端のSingSingSingはDヲタ更には吹部経験者は誰しもがノリに乗ってうっかりクラップをしそうになってしまうのでは?(しそうになった奴)

浅草エフリィを新しく劇団員に迎えた一座は、夢子、浅草の二大巨頭を全面に売り出し順調に軌道に乗り始めていた。その証拠に2幕のエフリィの登場の仕方はまさに「調子に乗っている」様子が伺える。ただこれ面白いのが、確実にマチソワの日はマチネの方が飛んだ時に足が綺麗にOの字になっていること。絶対疲れるよね、そうだよね、分かるよ、そんなところがとっても好き。あ、加藤シゲアキも人間なのだなぁ、とここでやっと実感。笑

そしてここからお姉様方とのちょいお色気タイムがスタート。

「ねぇ奏ぇ〜きんつば食べに行こ〜??」

「えぇ?きんつば?食べちゃうの?き・ん・つ・ば」

「ヤ〜〜〜〜ン」

なんだこれ。初日の率直な感想である。お色気のレベル高くない??きんつばであんな色気出る人おる??と思った。これは私の深読みしすぎなのであくまで想像として捉えて頂いて過信しないで頂きたいのだが、その昔、きんつばとは隠語で「伊達な風俗」と言われていたそうな。風俗というのが今で言う性的な意味合いを持たないのかもしれないが、もしこれが現代で言うキャバクラやアレやコレのことを指すのであれば、エフリィ、かなり遊んでますなぁ〜☺️という☺️まあでも夢子いるもんね!ね!!!と言い聞かせたい。

もうひとつ

「じゃあ俺はパイ食べたい。大きなパイ。女子ブドウがのったパイ」

「はぁ?女子ブドウってなんだよ笑」

「ちげぇよ干しぶどうだよ、ちょっと噛んだだけ。」

やってくれたなおい。確信犯だなさては。パイの話の時に大きく胸の前に円弧を描くなや。その話をしながらレビューガールの足をさわさわする様なんて、もう、まさに遊んでるやつの手口やん。やりおるな奏。

その後もガンガン調子に乗る奏。主義者だった頃からは想像もつかない喋り口調で(ノープロブレムなんて言わなかったろ君)サービスをする。

ごきげんよう

今日もええふり、こいてま〜す😊👈」

はもう言わずもがなですね。こんなんなんぼあってもいいですからね。

一座との楽しいコミュニケーション、恋人夢子との楽しい時間。しかしそれも長く続く訳では無いのです。軍人たちの集まりにわざわざ呼ばれたことを知った奏は自らが主義者であったこと、仲間が囚われてしまっていること、今の生活とのギャップに改めて悩まされるのです。

そしてここから物語は急展開。彼女である夢子もまた追われる身であり、一座を後にすることを決めます。今でさえ、想い合っての別れは辛いと分かるのに、この時代の別れは、もはや永遠の別れと言っても過言では無いのです。離れてしまえばもういつ会えるのかも分からない。二度と会うことが出来ない可能性の方が高い。そんな時代なのです。

なんと言っても、この時代の後には「戦争」という恐ろしい未来が鎮座しているのだから。我々はその事を知っている。だからこそ、当事者である奏や夢子により感情移入をしてしまうし、最悪の結果を見据えているからこその別れを想像出来てしまうのです。

それにしても、この別れのシーンで「最後ぐらいフィナーレらしくさせてよ」と和田に頼んで豪華絢爛なピアノ伴奏と共に堂々と歌い、劇場を後にする際にラプソディ・イン・ブルーを起用するところに、夢子の強さを感じました。

夢子がいなくなった一座は明らかにみんなの覇気や明るさが無くなり、夢子がどれだけみんなの中で輝いていた存在だったのか、失ってから気づき始めます。何よりいちばん辛いのは奏。「好き合っていたんだろ?」と菊谷に言われ、知られていたことに動揺する奏ですが、一座のトップスターの時には絶対に魅せなかった少し弱った顔を初めて見せます。この時の!奏の!苦しそうだけど無理して笑った顔!もう、一生忘れられない……きっと、この表情は「矢萩奏」としてだけでなく「加藤シゲアキ」だったとしても同じ様になると思う。限界まで周りには大丈夫と言ってしまって溜め込んで溜め込んで、もうどうにもならなくなった時、「大丈夫じゃないよな?」と言われると、ついつい心を許して一気に弱音を吐いてしまうところ。容易に想像ができる。。

ねぶたの音頭でみんなを元気づけた奏が舞台の去り際に、夢子からプレゼントされたクシを内ポケットからおもむろに取りだし

「ずっと一緒だ」

と一言。少し乱れた髪をクシで整え直し舞台を後にします。このシーンの全ての動作に奏の「決意」を感じました。一座を無くさない決意。劇場の扉を開け続ける決意。そしてどんな時も夢子を忘れず、心は一緒に舞台にたち続ける決意。涙が止まりませんでした。

その後悲しくも負の連鎖は止まらず、菊谷までもが徴兵されてしまう、この辺りから段々「戦争」という影が見え始めます。

菊谷との最後の熱いやりとりの中で

「沈黙は罪です」

「沈黙もしていない」

というのがありました。ここで言う沈黙とはつまり劇場の扉を閉めてしまうこと。菊谷はどんな事があっても、自分に何があっても、この劇場の扉は開け続けてくれ、と伝えます。

一座の想いを受け継いだ奏が最後に白のタキシードで出てくるシーンはまさに、神様が降臨してきたような煌びやかさと神々しさがあり、荘厳なシーンでした。


さて、脈絡もなくつらつらと書いてしまいましたが。コロナという先の見えない恐ろしいものに襲われてしまった現代の世界は、制限が多い、自由がない、などモダンボーイズの舞台である昭和初期と重なる部分が多々ありました。しかし、どちらの時代でも共通しているのは、「そんな時代に直面した人々は、今できる最大の努力をし乗り越えるための方法を考え、できる限りを尽くし、今を楽しむ」ということだと思うのです。

エンターテインメントを無くしてはいけない

この一言に尽きますね。生の舞台とはまさにそう、演者さんたちの意気込みやその役を生きているというのを肌で感じることができます。未だ終わりの見えないこのコロナの世界ですが、このモダンボーイズのような物語に心を救われる人々が1人でも多く現れることを願って。

明日も劇場に向かいます。

御付き合い頂きありがとうございます( ¨̮ )

では、またお会いしましょう‪ꪔ̤̮